2017年2月18日土曜日

教育学科の端くれとして思うこと

こんにちは。
インターン生の関根です。
今回は、いち教育学科生として日本の教育について感じること(不満!?)をつらつらと述べたいと思います。

私の周りには教師が多く、(父、父方の祖母、父方のおじおば、母方のおじおば)小学生の時からまじ~めに先生の言うことは必ず聞く子として育ってきました。

「いつも大人に褒められるように、、怒られるなんてもっての外!」

そんな生活を続けてきたおかげで(?)まあまあの成績を保ち現在世間から見てまあまあの大学に入ることができたと思っています。

しかし東京に出てきて大学に入り、気づきました、、

私のような「いい子」はこれからの社会に必要とされてない!!

大学で学ぶことは、自分が受けてきた教育がいかに「残念な」ものであったか、北欧の教育がいかに「イケてる」ものであるか、などなど、、
東京で出会った「いま活躍している人」は、何やら話を聞いてみると「昔は大人の言うことなど聞かず割と自由奔放にしていた」とのこと。
挙句の果てに、私のように人の言うことだけ素直に聞いて自分から考えアクションを起こすのが苦手な人間はこれから苦しいよ~ですと!?

ちょっと待ってよ!話が違う!!

私は言われた通りに、今までこれが正解だと思って生きてきたのに、、
成人を目前にして、過去十数年間の生き方を全否定された気持ちになりました。

ではどうして私はこんな残念な結果になってしまったのか?
実は私が受けてきた教室で行われる(義務)教育は、GHQと高度経済成長によって生み出された「(それぞれが勝手に意見して国に反発することのない)素直な国民」を作るために考えられてきたものだったのです。
(だいぶ端折ってあるので間違っているかもしれません、、)

要するに私は、戦後良いとされていた教育にどっぷり浸かっていたことで、現在良いとされているものを学べずに育ってしまったのでした。

時代は刻刻と変わっています。昔と今で求められていることが同じなわけないじゃないですか。

「素直な生徒」として先生に褒められていた代償が「自分で考えられない」ということだったと気づいた時にはもう手遅れでした。

時代錯誤の教育に染められた元・子どもとして、ここは声を大にしてクレームを言いたいと思います。


、、とても被害者面して書きましたが、もちろん受けてきた日本の教育すべてが間違いだったというつもりはありません。(笑)

でも、今絶対に言えることは、教育って時代に合わせてそのやり方を逐一変えていかなければならないということです。

文科省はやっと重い腰を上げて改革を始めるみたいですね。

私のような子どもがもう生み出されませんように。

以上、取り留めない文章になってしまいましたが教育学科の端くれの思うことでした。